ヒストリエ 少年エウメネスの描かれ方

<利発な少年>
年のころは見た感じ10歳前後といったところでしょうか。非常に利発な子供として描かれています。
のちに雇われ外国人としてマケドニア王国に仕え、持ち前の注意深さ、警戒心、忍耐力、知力によって他のマケドニア人も認めざるを得なかったというエウメネスの片鱗が見えます。エウメネスの子供の頃の話は伝わっていないのですが、そんな時代から描くことで作品に奥行きを出しているんですね。
大人になったエウメネスは自分の能力を隠し切れなかったのか、それとも隠す気もなかったのか、その能力を恐れられるあまり仲間から協力を拒まれるといったエピソードを持っているのですが、そんなことを将来やりそうな子供だなーという印象。そういうところが見え隠れします。
学校での成績はダントツ。ただ、他の子たちと同じレベルの授業を受けるのは退屈な様子で、授業中も時々自分の世界に浸っています。
かわいく利発な子供なんだけど、どこか油断のならない能力を秘めた子供ですね。後にエウメネス自身がボアの村の村長に語ったところによると、学校の先生とかにもよく「おまえはなまいきだ」とか言われたりしていたそうです。
確かに、先生からしてみればちょっと扱いずらいタイプの子供だったのかも知れません。

<お金持ちのお坊ちゃま>
父は地元カルディアで1番の有力者。家庭教師を雇うこともできますが、その父の方針で他の友達と一緒に町の学校に通っています。単に家庭教師から学問を学ぶだけではなく、友達と切磋琢磨して人付き合いも学ばせたいという教育方針なのかも知れません。
カルディアの有力者の家柄だったという設定は、歴史家であるコルネリウス・ネポスの「故郷では名の知れた家柄の出身だった」というところから来ているのかも知れません。いずれにしても、その後に書記官という一定水準以上の教養が求められる職業についていますので、それなりに裕福な家の出身というのは間違いないでしょう。

<自分の世界に浸る>
そんなエウメネスのお気に入りの場所は自宅にある図書室。
自宅に図書室があるなんてヒエロニュモス家はやはり相当なお金持ち。当時は紙が発明される前で、本(当時は巻物)は高価な羊皮紙に書いていた時代です。まだ印刷技術なんてありませんので文字は、職人による手書きが一般的だったので、一巻一巻が相当なお値段だったのでしょう。
それが見たところ数100巻以上はであるように描かれていますので合計いくらになったのか。。。それを見栄で買ってしまえるなんてお父さんの財力は凄すぎです。
そんな贅沢な部屋がほとんどエウメネス専用になっています。その部屋でエウメネスはホメロスやイリアスなど、教養のある大人が読むような小難しい本を自ら好んで読んでいた様子。
他にもエウメネスは運動も得意だったような描写もあります。勉強も運動もできてその上、学問にも熱心な子供。そんなエウメネスのことを、両親は頼もしく思っており、使用人などエウメネスを知る人物からも利口な子と見られている様子で、このまま順調に行っていれば優秀な学者にもきっとなれたのでしょうね。
色々な面で才能はあり、個々の能力は高いのですが、それを他者と比較したり、張り合ったりするのには興味がなさそう。他者からの評価や他者との比較の中にではなく、自分の中に自分の価値基準を持っている人のようです。

<読書はオタクレベル>
そんなエウメネスの読書のレベルは半端ではなく、相当に熱心に読み込んでいる様子が伺えます。
エウメネスはクセノフォンの「アナバシス」の最終巻が発売されるのを、まるで子供が漫画の最新刊を楽しみにするかのように心待ちにしていました。本人も言う通り、まさか大人になるまで読めないとは思いもよらなかったとは思わなかったでしょうが。。。
「アナバシス」は岩波文庫でも日本語訳したものが出ていますが、10歳そこらの子供が喜んで読むような本ではない感じですね。先に他の色々な本を読み漁ったあとに、冒険物語の一つとして読んだんですかね。
この後に色々あって、自分の命を救ってくれたボアの村の人々に対してはヘロトドスの「歴史」やホメロスの「イリアス」についてテキストなしに講義できるほどにマスターしています。
過去に読んだ本や映画の話をみんなが楽しめるように語るってなかなか難しいですよね。確かにこのまま行けば優秀な学者になったのは間違いなさそう。

彼が読書をするのは、勉強しなければならないからとか、誰かに褒められたいからといった理由からではなく、単に自分の中にある知識欲を満たしたいというのが動機のように見えます。
自分の中に自分の世界を持っていて、その中であれこれと空想することを楽しむといった、今で言うところのかなりオタク気質な少年のようで、学者になるのには向いているのかも知れません。
ただ、あまり他の漫画の主人公にはいないタイプですね。
他の漫画にいたとしても、主役というよりはちょっと変わり者の脇役にならいるかもといった感じでしょう。
ただし、単に学問が大好きで学問にはまっているだけの秀才という訳ではなく、大人顔負けの知恵や論理力も備わっており、後の知将エウメネスの片鱗をときおり見せてくれます。
例えば、ヒエロニュモスの死の後に開かれた査問会では、その際に知った衝撃の事実に動揺しながらもヘカタイオスの言葉の論理的矛盾を指摘して、ただの子供ではないことをあらためてヘカタイオスに印象付けます。

<運命は彼を突き動かす>
本当はそのまま学者になれたほうがエウメネスにとっては幸せだったのかも知れない。
日々、好きな本に囲まれ、時に自らの目で世界を見るために旅をする。そんな生き方こそがエウメネスが当初から求めていたものであったのかも知れません。
ただ、学問をすること以外の才能を持ち合わせていて、しかもそれが学問以上に役に立つものであることが周りの人間に知られてしまった結果、エウメネスは学者として世界を見る側にいることを許されず、その才能を自ら発揮するように求められてしまいます。
エウメネスも当初は、外野から自分の周りで起こる物語を観察する側の人間としてのあり方を自分に求めていたように見えます。
にも関わらず、いつの間にか物語の主役になってしまった上に、やって見ると自分でも意外と違和感がない。
それどころか自分には合わないと思っていた、物語の主役という立ち位置が、実は自分が本来あるべき姿なのではないかと気づいてしまう。
そんなエウメネスの物語です。

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