マケドニアという就職先について

<マケドニアの立ち位置>
エウメネスは雇われ外国人としてマケドニアに就職することになる訳ですが、そもそもマケドニアとはどんな国だったのか。
マケドニアというのは、いわゆる古代ギリシアを代表するアテネやスパルタといった都市国家の集まる先進地域よりも、ずっと北にありました。
民族的には、スパルタ教育でおなじみのスパルタと同じくドーリア系だと言われています。ギリシアの諸都市の人達と同じ言葉、文字を使っていたようですが、ギリシアの都市国家の連中からは異民族(バルバロイ)に近いような、半分野蛮人のような見られ方をしていました。
ヒストリエにも、異民族をあらわす言葉としてバルバロイという言葉がよく出てきますが、ギリシア人にとって異民族の言葉が「バルバル」と聞こえたことから由来しているそうです。
「バルバル」言って、よく分からない言葉を話す人達という扱いです。まぁ、別の言語を喋っている訳なので、何を言っているか分からなくても当たり前なんですが。
バルバロイという言葉は軽蔑の意味を含んだ言葉として、異民族を指したり、野蛮人の意味として使われたりします。英語の「バーバリアン」の語源でもあります。
マケドニア人の祖先は主に羊やヤギを放牧して暮らしていて、その人達が定住してマケドニア王国を建てたといわれています。
ギリシアの都市国家があったのが山と谷でできた険しい地形であるのに対して、マケドニアのある一帯は平野も広く、小高い山の続く丘陵地帯です。
マケドニアのある地域は一見、便利で快適な土地のように思えますが、なだらかな丘陵地ということは、敵を防ぐものがないということでもあります。周りは好戦的な異民族に囲まれ、戦乱が絶えなかったようで、ときには外敵に攻められて首都を占領されたりといった、結構ひどい目にも会っています。
そんな荒っぽい中でもまれたマケドニアは体育会系というか、少々荒っぽい国に育ちます。

<マケドニアの政治体制>
マケドニアの政治体制についてですが、民主制を取るギリシアの都市国家と違って、王政を採用していました。国のトップに王様がいたんですね。その王家を有力な貴族達が支えるという体制を取っていました。
ギリシアの都市国家連中からすると、自分たちがとっくの昔に卒業した古い体制でやっている遅れた人々に見えてしまいます。
周りを敵に囲まれたマケドニアでは誰かが強いリーダーシップを取る必要があります。みんなでワイワイガヤガヤやっている余裕はありません。素早い決断を求められる状況には、トップの方針で国を動かせるという点で、王政には王政のメリットがあります。
ただ、王政にもデメリットがあります。その中の一つが、繰り返される血みどろの後継者争い。マケドニアでは王様が死ぬたびに、次の王様をめぐってしばしば争いが起こるんです。マケドニアでは王様の子供に生まれたから、王子様だからという理由だけでは次の王様にはなれませんでした。
王様になるには有力な貴族達にと認められて、支持を受ける必要がありました。
周りが敵だらけ、下手したら自分たちの国が滅ぼされてしまうかも知れない状況なので、家来である貴族からしてみても自分たちのトップがボンクラだったら困ります。
王様と自分たち貴族は運命共同体ですからね。
なので、もちろん王家に生まれたという血筋は大事ではあるのだけれども、ある程度、優秀であると有力貴族からも認められないと王様にはなれません。
ただ、そのせいで王家の中には「優秀な俺の方が王様にふさわしい!!」とか「俺にもワンチャンあるかも?」とか思う人も出てくる訳で、後継ぎをめぐっての御家騒動の原因になります。
よろしくないことに、マケドニアは一夫多妻で王様に子供が多いんです。子孫が絶えては困るということでたくさんの子供を作る訳なのですが、王子たちにとってはたくさん生まれた兄弟のそれぞれが将来のライバルになる訳です。
このあたり、外に敵がいない状態で、ボンクラでも長男は自動的にトップになれるという御家騒動排除システムを導入した江戸時代の徳川将軍家とは大きな違いがあります。
江戸時代の長子相続のシステムって平和だからこそ可能だった訳です。
こういった感じで、マケドニアではしばしば後継者をめぐって御家騒動が起こり、身内同士で仁義なき戦いを繰り広げていました。
たくさんいる後継者候補達は、自分が負けそうになるとなりふり構わず、外国の力も借りて戦いを挑んできます。もうめちゃくちゃです。
王様変わるたびに毎回内輪もめして殺し合いまでする。。。というようなところもギリシアの都市国家連中からすると遅れた野蛮人国家に見えてしまいます。

<ギリシアの一員になりたい>
そんなマケドニアですが、ギリシアの都市国家連中と仲良くするための経済的な切り札がありました。それが木材の輸出です。貿易を通してギリシアと仲良くするんですね。
アテネを中心とするギリシアの都市国家は海外の植民市と盛大に貿易をやっていました。ギリシアは繁栄した結果、人口が増えたのですが、その人達が食べる小麦を生産するだけの農地がなかったのです。元々が山ばかりだし、土地も石灰質で水はけが良いため、オリーブやブドウなどを栽培するには適しているものの、小麦の栽培には不向き。
増えた人口を維持するためには主食である小麦を海外から運ばないといけない。船が必要。そのためには大量の木材が必要なんです。
安全な交易のためには強力な海軍も絶対に必要。ただ、自分たちの住んでいるところの周りの木は伐りつくしてしまっている。そこに広大な森林地帯を持つマケドニアが木材を輸出したのです。
ギリシアの都市国家は欲しい木材が手に入る。マケドニアとしてもお金が入るし、ギリシアとも仲良しにもなれるということでWin-Winの関係のできあがりです。

また、マケドニアはギリシア文化に対して強いあこがれを持っていました。ギリシアとの関係が深くなるのに合わせて、積極的にギリシア文化を取り入れていきます。ギリシアの芸術家や文化人を招いて、宮殿の建築やそこに飾る彫刻なんかの製作を依頼します。積極的に人や文化の輸入をやったことが、のちのギリシア植民市出身エウメネスの就職の土台になったのかも知れません。

そして、そんなマケドニアはチート級に優秀な王様であるフィリッポス2世の登場によって20年と少しの間に急激に成長します。

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