フィリッポス2世の軍事改革<マケドニア式ファランクス>

フィリッポス2世は、内政で国力を強くしつつ、そこで稼いだ資金を使って軍事改革を実行します。
実はアレクサンドロスがが東方大遠征を開始したタイミングでは、フィリッポス2世の残した借金とその後にアレクサンドロス自身が新たにこしらえた借金あり、借金地獄状態だったことはいったん横に置いておきます。改革するにはお金がめちゃくちゃかかるんですね、ということにしておいて、軍事面での改革について解説を始めます。
軍事面の改革で上げられるのは「常備軍」を組織したこと、その常備軍を使って「マケドニア式ファランクス」を作り出したことです。

<常備軍>
常備軍を組織したというのは、戦争または戦争の訓練ばかりやっている専門の部隊を作ったということです。職業軍人というやつです。
ギリシアの都市国家では一部の例外を除いて、兵士=市民でした。普段は市民として普通の仕事をしていて、戦争になったときだけ兵士として戦争に行きます。普段は商人やっていますけど、いざとなったら武器を持って戦争に行きますみたいな感じです。
それに対して、常備軍だと軍隊にいることで給料がもらえますので、普段から他のことは気にせずに毎日でも戦いの訓練ができます。訓練もはかどります。毎日の訓練によって組織された強い軍隊を作ることができる訳です。
また、いつでも好きな時に戦争することができます。兵士が他の仕事を持っていれば、例えば小麦の収穫時期なんかで本業が忙しい時だと、戦争に行けない訳です。
日本の戦国時代も、春の田植えの時期と秋の稲刈りの時期は戦争せず、戦争は主に夏と冬にやっていました。一番重要な食糧生産をほったらかしにして、戦争に行っている場合ではなかったのです。
そのあたりの改革として、日本だと教科書に「兵農分離」といった言葉が出てきます。織田信長のオリジナルではありませんが、織田信長のやった兵農分離が日本では有名です。

<ファランクス>
まずはギリシア世界の一般的な「ファランクス」について解説します。
ここでは、重装歩兵が隊列を組んだものをひとくくりに「ファランクス」と呼ぶことにします。「ホプリタイ」と呼んだ方が正確なのかも知れませんが、ここは面倒なので「ファランクス」で統一します。
この時代のギリシアの兵隊の主力は頭は兜、体は鎧や胸当て、左手にでかい盾というフル装備でガチガチに守り、武器として右手に槍を持つといスタイルの「重装歩兵」と呼ばれるものでした。
第2巻、トラクスが街で大暴れしている時に彼をを倒すためにでかい盾と槍を持った兵士が現れますが、これがギリシア式の重装歩兵の基本スタイルです。
ガチガチに重装備しているので、敵に攻撃を受けてもちょっとやそっとではやられません。いくらトラクスみたいな強い戦士が相手だったとしても、簡単に切り付けて倒すことはできません。圧倒的な防御力というのが重装歩兵の強みです。
ただしその高い防御力の反面、ファランクスの動きは鈍くなります。装備が重すぎて素早くは移動できません。あと、小回りは効かないです。重装備ゆえの動きの遅さが重装歩兵の弱みです。
強みも弱みもやっている本人たちも当然ながら理解していて、その弱点については、人数をそろえて隊列を組むことでカバーします。重装歩兵同士が列を組んで、がっちりと盾を構えて密集して、巨大な鉄の壁を作ってしまう訳です。自分の左半身は自分の持つ盾で守り、空いた右半身は右隣りにいる兵士の盾で守ったというくらいなので、相当な密集具合です。回り込まれないように密集して、横にずらーっと並ぶことで、動きが鈍くて小回りが利かないという弱点をカバーします。ただ、あまりに密集し過ぎるせいで、小回りが利かないという点においては、より強化(?)されてしまいます。
この横にずらーっと並んでいる分には正面からの攻撃に対しては圧倒的な防御力を発揮するのですが、これが一点でも突破されてしまうとそこから一気に崩されてしまう恐れもあります。なので、突破されてもそこをカバーできるように、横の隊列を後ろに何列も重ねます。こうやってできあがった長方形の隊列がファランクスです。

<マケドニア式ファランクス>
フィリッポス2世はこのファランクスを改良して、マケドニア式ファランクスを生み出します。特徴としては一つはこれまでの重装歩兵を少し軽量化すること。もう一つはファランクス自体の規模をより大きなものにすること。そして何より大きな特徴はサリッサと呼ばれる長い槍です。
マケドニアというのは元々は少々荒っぽい国で、個々人が勇敢な戦士であることを求められる気風があったのですが、その強い個々人の力を磨くのではなく、マケドニアの荒くれ者たちがチームとして団結して動けるように訓練して、このファランクスという兵器を作り上げます。訓練に時間を割くことのできる職業戦士たちの集団であったことでこそこの最強の部隊は成り立つことができたと言えます。

<サリッサについて>
彼らが使った槍の事を「サリッサ」と言います。その特徴はめっちゃ長いことです。他の国が2~3メートルの槍を使っていたのに、対してこのサリッサは4~6メートルと大体倍くらいの長さがあります。長いことで、より遠くから敵を攻撃することができるようになります。相手の槍が届かない安全なところから攻撃できる訳です。
後ろの兵士は前の兵士の隙間から槍を伸ばして、前の兵士よりも手前の部分を槍でチクチクします。長い槍だと近くを攻撃できず、懐に飛び込まれてしまった相手を攻撃できないという弱点があるのですが、これによって遠くから手前まで同時にカバーできるようになります。マケドニア式ファランクスだと前から5列目くらいまでの人が槍を使ってチクチクと攻撃していたそうです。
あまりにも槍が長いので片手では扱えなくなるというデメリットもありました。もう片方の手ででかい盾を持つことができなくなる訳です。それをカバーするために、マケドニア兵は両手で槍を持ち、盾は左手に固定するというスタイルを取ります。
また、槍が長いせいで槍全体が大きくしなってしまって、相手を攻撃しずらいというデメリットもありました。槍が槍自身の重さによって大きく弧を描くように曲がってしまうんですね。この点については2つの木材を途中で金属の器具でつないで一本の槍にすることで、いくらか緩和されていたようです。
このあたり、日本の戦国時代の織田信長の長槍なんかになると発想が違っていて、むしろ槍が長くて大きくしなってしまうことをメリットと捉えて、槍で相手を突くのではなく、槍で相手を上から叩くという戦術を取っています。ぺちぺち上から叩くって、槍で突くよりもダメージが少なく感じるかも知れませんが、決してそんなことはありません。長い槍の遠心力を使って、鉄の塊である槍頭(穂)を脳天に叩き付ける訳ですから、これをくらうと骨折して戦闘不能になります。このあたりの発想の違いも「文化が違う」ところですね。
話はマケドニアに戻します。これまでの重装歩兵を見慣れている人たちからすると、長い槍を連ねたマケドニア軍はなんか変な感じに見えたことでしょう。伝統的な重装歩兵となんか違いますからね。あいつら変なことしてるって思われたかも知れません。改革者というのは最初は変に見えるものです。常識からかけ離れてしまっていますから。
こういう改革ってもし誰かが気付いていても、伝統のあるギリシアの諸都市であれば猛反対にあって実現しなかったかも知れません。そんな非常識なことはするな、かつてはペルシアをも撃退した、ギリシア最強の重装歩兵の伝統と誇りを守れと言われかねません。
新しいものの導入については伝統があることが不利に働くことがあります。「これまで上手くいってたのになんで変えないかんねん」という抵抗が働きます。
日本海軍も航空機(艦載機)の重要性に気付いていた人がいたにも関わらず、大艦巨砲主義に囚われてなかなか方針を変えることができませんでした。日露戦争の日本海海戦の勝利から抜けきれなかったとも言われています。過去の勝利が後の敗北を生むというのは歴史上よくある話です。
話はそれましたが、マケドニアは新興国だったので、そのあたりの抵抗は少なかったのかも知れません。そのおかげで、こういう奇抜な戦術を導入できたのかも知れません。伝統ある大国と同じことをしていたら勝てない。これから新たに国を作っていく過程のマケドニアの方がこのあたりは有利だったのでしょう。
王政であり、トップの判断で方針を決めやすい状況であったこと、何よりそれを引っ張ったのが断固たる決意を持ったフィリッポス2世だったことというのも大きかったのでしょう。

<ファランクスを戦場で生かすには>
ファランクスは全面をガチガチの固めているので、正面からの攻撃を耐えるという点でめちゃくちゃ能力を発揮します。敵の攻撃に対して鉄の壁になる訳です。
盾や鎧でガチガチに固めた上に、ヤマアラシみたいに槍を突き出している訳ですから、正面から突き崩すのはまず不可能です。正面からの攻撃を跳ね返すということにかけては無敵のファランクスですが、弱点もあります。
<弱点その1>移動速度が遅いこと。
これはある意味仕方なしですね。だって重装備だから重いのは当たり前だもの。戦場でもせいぜいが人が歩く程度の移動速度だったとの事です。戦場に着くまでの移動にも相当な時間がかかったことでしょう。
<弱点その2>小回りがきかないこと。
機動力って単純に移動の速度のことを指すこともありますが、旋回性能については戦場ではある意味移動速度以上に重要になってきます。重装備した兵士同士がギシギシに密集しているので、方向転換は非常に難しいです。
例えば、部隊の向きを変えようと回れ右をしようにも、一番右にいる人はほとんど動かなくてもいいけれど、一番左にいる人は大きくぐるーっと回らないといけない。それを命の危機が迫っている戦場でやってみせるのは至難の技です。
<弱点その3>両サイドと後ろが無防備であること。
前面はガチガチに守っているのですが、両サイドと特に後ろはほとんど無防備。後ろから攻められたらなすすべなくやられます。
ゲームで例えると、正面からだと攻撃100、防御100なのに、両サイドや背後だと攻撃10、防御10になる感じ。
重装歩兵はガッチリ構えている分には無類の強さを発揮できるのですが、いちど戦列を突破されてしまうと、そこから一気に崩れます。そのため、重装歩兵同士の戦闘では、隊列が崩れた側を隊列が確保できた側が一方的にボコボコにするといったことが起こります。隊列を組めている間は強いのですが、いったん崩れてしまうと後は動きの鈍い個々の兵士の集まりになってしまうのです。
当然、この弱点についてはみんな分かっているので、両サイドや背後は軽装の歩兵や騎兵で守ります。この頃の戦争では真ん中に重装歩兵、弱い両サイドを軽装歩兵や騎兵でカバーするという布陣がスタンダードになります。古代ギリシアの戦いでは、あくまで戦場の主役は重装歩兵で、騎兵や軽装歩兵は重装歩兵の弱点を守るための補助として使われることが主でした。
ファランクスの強みと弱みを理解した上で、フィリッポス2世は重装歩兵に騎兵を組み合わせた戦い方を確立します。
更に、それを芸術的な域にまで高めたのが、その後継者であるアレクサンドロス3世でした。

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